2013年02月14日

フィリップ・ケーヌ企画「 アナモルフォーシス 」

TPAM in Yokohama 2013
フィリップ・ケーヌ企画/ 
   ヴィヴァリウム・ステュディオ
「 Anamorphosis アナモルフォーシス 」

写真はTPAMのプログラムのページより。

鑑賞日 : 2013年02月13日(水)
       12:30~13:50
会場 : KAAT 神奈川芸術劇場
      < 中スタジオ >

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昨年のTPAMで観たフィリップ・ケーヌの
「 セルジュの特殊効果 」が余りにも面白くて、1年経った今でも強く印象に残っています。
今年もTPAMにフィリップ・ケーヌの作品が、やって来ると言う事で、とてもとても楽しみにしていました。
余りにも期待し過ぎた所為か、今年の作品はイマイチでした。
難は、日本人女優4人だけしか登場しないと言う事です。

フィリップ・ケーヌの脚本の面白さは、おまぬけな、すっとぼけに有るのだけれども、若い日本人の女優さん達には、彼のおとぼけユーモアを背負い切れてなかったのです。
言われた通りに動いているお人形さんにしか見えませんでした。
二へドンがこの作品のキャスティングをするのであれば、寧ろ野村沙知代的な日本人のオバサン4人衆、或いはオバアサンを投入しますね。
或いは、巨体のヴァイキングの様な白人の髭面のオヤヂ4人衆をぶつけるな。
でも、昨年も今年もそうだけど、どうしてフィリップ・ケーヌは、いつも素人みたいな演技力の無い女優を使うのだろうか?
それがフランス人から見た典型的な日本人の女優像なのかしら?
しかも、揃いも揃って、体型がスリムな棒人間的な。
決してセクシーでは無い。 ぽっちゃりした女性は、彼は使わないみたいですね。

フィリップ・ケーヌの演出には、フランス人の目に映った日本人の習慣がたくみに取り込まれています。
昨年の作品「 セルジュの特殊効果 」でも、今年の「 アナモルフォーシス 」でも、
役者は舞台に上がると、先ず靴を脱ぎます。
何故なら、舞台の上は、家の中と言う設定なのだから。
そして実に丁寧な所作で靴を揃えて舞台の端に並べて置きます。
昨年面白かったのは、フィリップ・ケーヌ本人が役者として舞台に上がっていたからです。
例えば靴を脱いで揃えて置く、と言うただそれだけの行為も、日本人がやっても別段
当たり前過ぎて面白くも無いが、フランス人の彼がやると、真面目に異文化に取り組めば
取り組む程、それだけで何だか滑稽に感じられて笑えたのだ。

舞台の上の4人の日本人女性達は、コートを着て、ニットの帽子を被り、リュックを背負って
部屋の中をぐるぐるとゆっくりと歩き回ります。
そして車座になって焚き火をします。
客席からは、一部の人々( 大抵は白人 )が、このシーンで声を立てて笑います。
ぐるぐるとゆっくりと歩き回ると言う行為が、さっきまで部屋の中だった空間を
焚き火が出来る屋外に「 アナモルフォーシス 」する儀式であったのです。
( アナモルフォーシスとは、「 歪像 ( わいぞう )」 、又は歪像を表現する為の描法の事。)

舞台の冒頭では、置かれているドラムセットにライトが点滅し、ROCK-A-CHERRYの
楽曲がフルコーラス流れます。
1曲丸々聞く訳だけれども、舞台には最後まで、そのドラムセットが置かれたままなのです。
頻繫にライブハウス通いをしている二へドンに取って、このドラムセットが
二へドンのリアルな生活と、舞台上での設定を繋ぐ媒介となりました。
ライブハウスや、バンド・ミュージックと無縁な人々は、この舞台をどの様に位置付けたのだろうか?

舞台中央の上からは大きなミラーボールが下がっています。
一体いつ如何なるタイミングで、このミラーボールが回転するのか、実は何度も
観劇中に気になって、このミラーボールを盗み見てしまったのだ。

さて、ドラムセットの真横で焚き火が行われるのですが、
二へドンがいつも高井つよし氏のライヴを聞きに行くアピア40のライヴの真っ最中に
二へドンがドラムセットの隣りで焚き火をしたら、どうだろう?
今迄考えた事も無い発想に心がときめいた。
きっと店長が「 消防署がうるさいんで、常連のお客さんでも、そういう行為はご遠慮下さい。」
とか何とか真顔で言うんだろうな。

焚き火とは迄は行かなくても、今度テーブル席で線香花火を点けてみようかしら?
店長は線香花火も許してくれないかしら?
舞台で進行中の劇を見ながら、二へドンはそんな取り止めも無い事を色々考えていたのでした。

舞台の上で女の子達はテントを広げて中に入ります。
だからね、日本人のスリムな女の子4人が中に入るよりも、デブデブの巨体のおじさん4人が
小さなテントに無理矢理入る設定の方が、絶対に笑えると思うのよ。

テントの中では、あみちゃんの誕生日プレゼントが贈られるのです。
あみちゃんは、1つ1つのプレゼントを開けて、Tシャツを早速着てみます。
ヴァイキング爺ぃが、そんな事をしたら、もっと笑えるよね。

この演劇を、舞台の上で演るのは勿論なのですが、出来たら是非ライブハウスの中で演ってみて
欲しい。 この「 アナモルフォーシス 」は、昨年の「 セルジュの特殊効果 」よりも面白さは
少なかったものの、二へドンが色々インスパイアされた事は、見て良かったと思います。
ライヴハウスで演って欲しいよねえ。
今の東京のライブハウスが、如何に実験的要素に乏しいか分かると思うのです。
多数のライブハウスのオーナー達は、「 別に実験はしなくても良い。 安定経営がしたい。」と
思っているのかもしれませんが、でも、二へドンは実験的なイベントだ大好きなんです。
他の人々だって、同じ様に考えている人々は大勢いると思うのですよ。

こと実験と言う意味では音楽シーンよりも演劇シーンの方が抜きん出ているのは否めません。
あらゆる実験的な手法を目撃出来る TPAM 。
これは見ないと損をします。


劇中で、「 何か音がした。」 とテントから女の子が1人出て、外の様子を覗います。
言い知れぬ恐怖が突如として、背筋を凍らせます。
滑稽な筈の舞台が、突如としてホラーの世界に突入します。
舞台セットも登場人物も何も変わらないのに、ふとした弾みで世界が変わってしまう、
その現場を観客は証人として見るのです。

ユーモア自体は、「 セルジュの特殊効果 」には及ばなかったけれども、
「 アナモルフォーシス 」の転換は、実に見事に仕掛けて有ったのだと、後になってから
気付かされました。

結局ミラーボールは最後の最後まで回転しませんでした。
ああ、観客に見せ付ける様に設置したミラーボールは、とうとう使われなかったのね。
あ、何だ。 そうだったんだ。
ミラーボールと言えば、あの大御所・孤高の詩人ロッカー高井つよし氏の曲に
「 ミラーボール 」と言うのが有るんだわ。
高井つよし氏に最後にご登場願って、彼の曲「 ミラーボール 」を熱唱して
もらいたかったよ。
高井つよし氏の独自の方向性は、一般の音楽ファンには、なかなか理解されないかも
しれないけれども、こういう演劇の実験の場には、高井つよし氏の音楽こそがふさわしいと思いました。

フィリップ・ケーヌ、駄目じゃん。 君は高井つよしと言うロッカーを知らなかったんだろう。
駄目だなあ。 だから「 ドンドン日記 」を読んでおけば良かったのにねえ。

***** 「 フィリップ・ケーヌ企画「 アナモルフォーシス 」 」 ・ 完 *****  


Posted by ニヘドン at 02:53Comments(0)演劇・ミュージカル