2024年05月14日

松江の稲荷山神社で見つけたユニークな御幣。

松江の城山稲荷神社の御幣by二へドン2019年05月30日(木)
松江市内に有る城山稲荷神社に行
きました。この境内で、写真の様
な光景を目にしました。
「 何、これ? 珍しい~。」
最初に見た時に二へドンが心の中
で発した第一声が、これでした。
二股の木の幹に縄が巻かれ、そこ
に御幣が何本も刺してあります。
これは関東地方の神社では、余り
見ないものなので、二へドンの目
には非常に珍しいものに写りまし
た。
 白い紙のビラビラしたものは、
紙垂( しで )と呼ばれます。
この紙垂が神社の注連縄に取り付
けられているのは、全国の神社で
当たり前のものとして見られま
す。紙垂は、不浄のものが入り込
まない様に紙様側( 常世 )が
裏、こちら側( 現世 )が表向
きで付けるそうです。裏も表も真
っ白だから、逆になっていても分
からないですけど。(笑)
 このビラビラの形には、豊作を
もたらす雷( 稲光 )を現わし
たものと言う説が有ります。古く
は、雷が多い時期に稲が実り易い
事から、雷と豊作を結び付けて考
えていたみたいです。
 写真の木に刺して有るのは、一般的に「 御幣( ごへい )」と呼ばれるものだと思い
ます。この御幣は、神々への捧げ物を意味します。
「 國學院メディア 」と言うサイトで、面白い生地を見つけましたので、その内容を要約
してみます。
 『 捧げ物 』としての御幣の中心は、折り下げた部位ではなく、串に挟まれた部分
 そのものに有る。
」 と言うのです。 いやはや、御幣の中心部分が何処かなんて、
今迄の人生で考えた事も無かったので、この視点にはビックリです。 しかも視覚的には
一般の人の目には、ビラビラと垂れ下がった、その部分に目が行きますから、当然そこが
主役だと思っている人が殆どでしょうね。
「 國學院メディア 」は更に教えてくれます。
「 古墳時代の頃から、人々は祭祀において、神に貴重な品々を「 幣帛( へいはく )
  」として捧げて来ました。それらは当時のイノベーションの最先端の技術を象徴する
 ものが多いのです。
  奈良時代~平安時代前期にかけて幣帛は「 特に布類を指すようになる 」。
 捧げ方も多様化し、折り畳んだ布を串に挟んで捧げる形式も登場します。
 史料には「 幣挿木( へいはさむき )」と書かれています。
 時代が下がると布は紙に取って変わられます。 室町時代~江戸時代に掛けては
 坂城( 玉串、真榊 )の他、神前に御幣を捧げる形が普及・定着し、現在に至って
 います。
 」
幣紙と紙垂が一体化したものも有るとの事。

この御幣の歴史を分かった上で、改めて城山稲荷神社の御幣を見ると、日本の御幣の
歴史が分かって面白いですね。 そうなんですね。 串に挟んである四角い紙は、昔は
布だったのですね。 御幣の形が多様化したので、この写真の形は、関東地方では
余り見ないのですね。 興味を持って、街を歩くと、見る物聞く物、全てが謎に満ちて
います。 さあて、今日は何処の街を歩こうかな?
取り敢えず、同僚から、今シャトレーゼで「 こいのぼり 」の和菓子が販売されていると
聞いたので、シャトレーゼに行って来ます。

*****「 松江の稲荷山神社で見つけたユニークな御幣。 」 ・ 完 *****




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Posted by ニヘドン at 10:45│Comments(0)寺社仏閣旅行
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