2017年01月31日
御霊神社 ( 鎌倉 )

2015年07月24日(金)
鎌倉の浅羽屋で「 うな重 」を
食べたニヘドンは、
元気に歩いて行きました。
すると「 御霊神社 」
( ごりょうじんじゃ )に出くわしました。
( 神奈川県鎌倉市坂ノ下4-9 )
御霊神社は、大阪にも京都にも、
恐らく日本全国に見られる神社かと思いますが、
ここ鎌倉の御霊神社は別名「 権五郎神社 」と言います。
創建は鎌倉幕府以前と言いますから、大したものです。
画像からも、そんな風格を感じて頂けますでしょうか?
木の上にはカラスの群れが禍々しく鳴いています。
「 不吉。」 かと思うと、ウグイスの声が響き、ホッとします。
すると今度は、ガオガオガオ・・・と言う様な聞きなれない音が
頭上でするので、何かと思って見上げると、木の枝の上に
リスがチョロチョロと伝わって行きました。
蝉の鳴き声が静かに空の中に溶け出しています。
小さな神域の中に、沢山の音が満ちている空間でした。
お賽銭を上げ、母とご先祖様へのお礼を言い、
あの人と末永く仲良く過ごせる様に祈りました。
けれども、この日から1年7ヶ月経った現在、
祈った相手とは没交渉になってしまいましたが。(笑)
ま、1人になって、ちょっとは貯金をしろと言う神意だったのかもしれません。
よーし! 貯金するぞー! あいつが真似出来ない位働いて、貯金するぞー!
画像は無いのですが、お神輿が2台展示されています。
それぞれの説明板に書かれている事を転記しておきます。
☆「 石神神社の大神輿 」
御霊神社の境内末社石神( いしかみ )神社の御神体は
御霊の前浜沖1キロに沈んでいた巨大な石。
漁船が度々座礁することから、江戸時代末期
この大石の上部を切り、引きあげて境内に海上安全の神としてお祀りしました。
7月の第3月曜日( 海の日 )に行なわれる石神神社の例祭は、
一名「 御供流し ( ごくながし )」と呼ばれ、
大石の有った沖合いまで若者達が供物を手に高々と捧げて泳ぎ、供える神事です。
石神神社には、大小二基の白木の神輿があります。
大嵐で材木座海岸に流れ着いた大伐木で造られたと言い伝えられています。
昔は、この大神輿を御供流しの時に沖合い迄泳ぎ担ぎましたが
現在は小神輿を舟にお乗せしての海上渡御となっています。
☆「 御霊神社の宮神輿 」
御霊神社の例大祭( 9月18日 )の神幸( おわたり )祭は
揃いの白丁( はくちょう )姿の担ぎ手が、天王唄( てんのううた )に合わせて
ゆったりと街中を練り渡る古式床しい宮神輿渡御と
面掛行列( めんかけぎょうれつ )【 神奈川県指定文化財 】で知られています。
神輿は宝暦3年( 1753年 )江戸時代中期の制作。
覚園寺村大工の棟梁 木村源八作と記されています。
本体は総漆仕上げ、 極彩色金箔押しの瀟洒な造り、
様式は新編相模風土記に「 御霊神社の神輿は鶴岡八幡宮の神輿と同型 」と
記されているように、鎌倉室町型宮神輿。
平成16年神輿奉製250年に当たり「 平成の修復 」を行い
貴重な文化財の維持管理に努めています。

( ゆみたてのまつ )
鎌倉・湘南地区を平安時代後期に
開拓した開発領主である
鎌倉権五郎景正公が
ご領地を見まわる際に
弓を立てかけられたと伝える
松の古木です。
古木とは言っても、大人の腰程の
高さに伐られてしまっており、
説明板が無ければ、
それが松の木である事にも
気がつかないかもしれません。
下の写真は御神木の
「 たぶの木 」です。
「 かながわのふるさとの木 」
に指定されていると共に
鎌倉市の天然記念物にも
指定されています。

歴史を見つめて来た古木。
樹齢は約400年。
境内に涼しい木陰を与えて
くれています。
太い幹の木肌は決して
綺麗とは言えませんが、
人間には決して生きられない
400年と言う歳月を経て来た
自然の凄さを感じたくて
思わず手の平を当ててみました。
たぶの木の脇に有る
社務所でご朱印を頂きました。
御朱印 = ¥300.-。

左の写真は「 夫婦銀杏 」
( めおといちょう 」です。
この銀杏も樹齢約400年。
立て看板の説明を転記
しておきます。
「 社殿に向かって左が雄。
右が雌。
雌雄そろって聳え立ち
毎年多くの銀杏の実を
結ぶことから
夫婦円満・家内安全・
子宝安産のシンボルと
されている。」
いいなあ・・・・・・
ニヘドンも、この銀杏の木の様に
誰かとラブラブになりたいなあ・・・。
晩秋に銀杏の葉が全部
真っ黄色になった様子は
さぞ素晴らしい事でしょうね。

これは「 袂石( たもといし )」と云うものです。
右の石が16貫。 約16Kg。
左が「 手玉石 」。 28貫。
約105Kg。
御祭神 景正公が手玉に取り、
袂に入れたと伝えられる。
公の人知を超えた霊力を示す
重量の石。
石は神霊を宿す
神の依代と考えられている。
☆「 祖霊社 」 ( 画像は有りません。)
日清、日露、第二次世界大戦での坂ノ下町の戦没者の英霊
23社を祀る。
8月15日に戦没者慰霊祭を斉行。

☆ 第六天社 ( だいろくてんしゃ )
神代七代 ( かみよななよ )と
言われる
天地開闢 ( かいびゃく )の時に
成りませる第6代に当たる神面足尊
( おもだるのみこと )と訶志古泥神
( かしこねのかみ )を祀る。
男神、女神の容貌が成り整うの神格化
防塞の守護の神とも言われる。
石の箱の上に石の屋根が乗り、
苔むしている。
正面にはひび割れた石の扉。
九州・高千穂の天安河原( あまのやすがわら )を訪れたばかりのニヘドンには、
両者が繋がっているさまに感じられて仕方無かった。
拝殿の右手奥には金刀比羅社( こんぴらさま )、石上神社、 地神社 ( ちじんじゃ )、
御嶽社 ( おんたけさん )、神武天皇の碑も有る。

庚申信仰は平安時代に
中国から入り、江戸時代に
庶民の間に広まった。
人間の体の中にいる
「 三尸( さんし )」という
虫が庚申の日の夜、
人の体を抜け出し天帝に
その人の悪行を告げに行く
というもの。
鎌倉坂ノ下にも昭和30年頃
まで庚申講が有り、
庚申の夜、村人は眠らずに
飲食歓談し夜を明かした。
12基の庚申塔は村の辻々にあったものを近年、神社境内に改祀した。
その内、三猿が踊る珍しい庚申塔、他1基が鎌倉市指定民俗文化財。
( この踊る三猿はニヘドンも初めて見ました。
じっと眺めていても興味が尽きません。
この発想力は凄いと思いますよ。)

神社のアイドル的な存在だと
ニヘドンは勝手に思っている
狛犬ちゃん。
中国から入って来たものだが、
獅子がいなかった国の日本人に
理解し易くする為に
「 犬 」扱いされたらしいです。
でも、返って可愛らしいですよね。
後ろの木の広がった枝ぶりが、
まるで狛犬の光背の様です。
或いは、くじゃくの羽を広げた様な。
或いは紅白歌合戦の小林幸子の様な。
(笑)
お地蔵さんや小便小僧の様に
季節に応じて衣装替えをする
狛犬さんがいても良さそうなものだが・・・。
もし我が家の近所に狛犬さんがいたら、
絶対ニヘドンのコスプレ魂の犠牲に
なっているだろうなあ。 うしし。

写真が、この江ノ電の写真です。
御霊神社の正面入口の前が
江ノ電の線路なんです。
音がするので振り向くと、
真近を江ノ電が走り抜けて行くので
ビックリします。
電車好き、江ノ電好きな方には
パラダイスな神社です。
さ、随分御霊神社に長居をしてしまいました。
次なる発見を求めて、御霊神社を後にしましょう。
***************************
{ 後記 }
この御霊神社を訪れたのが2015年07月24日(金)。
2017年08月05日(土)の本日までに、
この御霊神社を再訪する機会は訪れておりませんが、
神社を隅から隅までじっくりと見て回る事って、あまり無いので、
この御霊神社でのひと時は、忘れえぬ思い出となっています。
夏は暑いですけど、真夏の光がとても似合う神社だと思いますので
是非皆さんも夏場に参拝してみて下さい!!
***** 「 御霊神社 ( 鎌倉 ) 」 ・ 漢 ******
「 一乗谷朝倉氏遺跡 」から山を見た。
江戸時代の名プロデューサー蔦屋重三郎を追い掛ける!!
奈良井宿の高札場( こうさつば )。
流れ落ちる汗が目に入って幻が見える「 竹田城跡 」。
鹿島神宮の「 塚原卜伝の像 」。
「 雪國 」の碑。
江戸時代の名プロデューサー蔦屋重三郎を追い掛ける!!
奈良井宿の高札場( こうさつば )。
流れ落ちる汗が目に入って幻が見える「 竹田城跡 」。
鹿島神宮の「 塚原卜伝の像 」。
「 雪國 」の碑。
Posted by ニヘドン at 21:24│Comments(0)
│歴史散歩
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。