2022年04月21日

江戸時代の名プロデューサー蔦屋重三郎を追い掛ける!!

蔦屋重三郎「 耕書堂 」跡地by二へドン2021年07月14日(水)
みなとみらいTSUTAYA 2階の
kino cinema で映画「 
HOKUSAI 」を見た二へドンは、
すっかり映画の北斎ワールドに嵌
まってしまいました。キャストが
二へドンの好きな俳優さんばかり
☆ 青年の北斎 ・・ 柳楽優弥
☆ 老年の北斎 ・・ 田中 泯
☆ 蔦屋重三郎 ・・ 阿部 寛
☆ 喜多川歌麿 ・・ 玉木 宏
絵師は、絵を描くだけでは駄目
で、蔦屋重三郎と言う書肆がいて
こそ、初めて企画・出版・販売が
成され、作品が世に出て名声を得
て、利益も得ると言う仕組みなの
です。蔦屋重三郎が売り出したの
は北斎、写楽、歌麿と世界に名だ
たる名絵師ばかり。彼らの作品が
秀逸なのはともかく、彼らの作品
を世に売り出したプロデューサー
蔦屋重三郎に恋に落ちました。
二へドン、直ぐに追っかけます!

蔦屋重三郎の耕書堂の説明板by二へドン耕書堂が有った場所をネットで探
すと、今の東横イン東日本橋の前
だと言う事が分かりました。こう
いう時にコロナで仕事を失ってい
ると、思い立ったら動けていいで
すね~。14:39 都営新宿線の馬喰
横山( ばくろよこやま )駅に
て下車しました。ホテルを目指し
て歩いて行くと、「 ああ、本当
に東横INN 東日本橋ホテルが有る
だけだ。」 もっと素敵な記念碑
か何かが建っているのかと思いま
したら、ホテル前の道路の向こう
側に説明版が1枚有るだけでした。耕書堂を復元したら良いのに。
蔦屋書店さん、同じ名前の誼で、耕書堂を復元してみませんか?
説明板に書かれている文章を転記しておきます。
「 蔦屋重三郎( つたやじゅうざぶろう )「 耕書堂 」跡
  所在地 : 中央区日本橋大伝馬町13番地域
  この地域には、江戸時代中期の出版業者である、蔦屋重三郎( 1750 ~ 1797 )の
  書肆( しょし )( 出版業者兼本屋 )「 耕書堂 」がありました。
  寛延03年( 1750 )に新吉原( 現在の台東区千束 )に生まれた重三郎は、後に
  喜多川氏、蔦屋の養子になり、新吉原大門口五十軒道に書肆を開業しました。
  安永03年( 1774 )には、吉原の案内所である「 吉原細見( さいけん )」の版元
  になり、さらに黄表紙などの刊行を行いました。
  天明03年( 1783 )09月には通油町( とおりあぶらちょう )( 現在地付近 )
  に進出し、黄表紙・洒落( しゃれ )本・狂歌( きょうか )本・錦絵などを刊行
  して、有力なじ地本( じほん )( 江戸で出版された双紙類 )問屋になりまし
  た。葛飾北斎の「 画本東都遊( えほんあずまあそび ) 」には、「 絵草紙
  店 」として、その店先の光景が描かれています。
  重三郎は江戸の人々の嗜好を汲むことに長けており、戯作( げさく )者としては
  朋誠堂喜三二( ほうせいどうきさんじ )・ 大田南畝( なんぼ )・ 恋川春町
  ( こいかわはるまち )・ 山東京伝( さんとうきょうでん )など、絵師として
  は勝川春章・ 鍬形蕙斎( くわがたけいさい )・ 葛飾北斎などの作品を次々に
  刊行しました。さらに、喜多川歌麿( きたがわうたまろ )を見出してその庇護者と
  なって大成させるなど、江戸一流の版元として数多くの実績を残しました。
  寛政03年( 1791 )には寛政の改革の出版統制による弾圧を受け、身上半減の闕所
  ( けっしょ )処分( 財産半分没収 )とされてしまいます。
  しかし、それ以降も書肆としての活動を続け、寛政06年から翌年にかけて東洲斎写楽
  ( とうしゅうさいしゃらく )の役者絵などを刊行しました。
  平成22年03月  中央区教育委員会
  「 画本東都遊 」 葛飾北斎画 ( 中央区立郷土天文館所蔵 )
  " Ehon - Azuma asobi " painted by Katsusika Hokusai
( owned by Chuo Historical Museum )


二へドンの頭の中はカオスの状態です。
蔦屋重三郎が出て来る映画を、TSUTAYAの2階の kino cinema で観る。
耕書堂跡地の大伝馬町の近くの小伝馬町には、二へドンの亡き母が勤めていた鋲定本店と
言う会社が有る。
北斎の晩年、パトロンとなった高井鴻山が住んでいた信州の小布施町には二へドンは添乗の
仕事で何十回も行っている。 小布施の北斎館で「 富岳三十六景 」を全て見た事も有る。
映画「 HOKUSAI 」で晩年の北斎を演じた田中泯は、山梨に住まいの拠点を移している。
今、二へドンは山梨県の甲府で数か月に渡るホテル生活をしている。
その甲府市に1つだけ有る映画館「 シアターセントラルBe館 」で、田中泯のドキュメン
タリー映画「 名付けようのない踊り 」を見た。
元々二へドンは舞踊家の土方巽( ひじかたたつみ )に興味を持っていて、書籍を色々買
い集めたり、山口県情報センターに土方巽のフィルムを見に出掛けたりしている。
田中泯は、土方巽の弟子であった。
土方巽と暗黒舞踊で共演した大野一雄の晩年の公演でバックギタリストをやった事の有るの
が、10年間だけ、二へドンと友人関係だった孤高のロッカー高井つよし氏だった。
そんなこんなで、HOKUSAIを触媒として、二へドンに関わるあらゆる事が怒涛の波の様に
脳裏に押し寄せて来て、二へドンは記憶の海の中で溺れてしまいそうな気分になったのです。
何なんでしょうか、これは。 耕書堂跡には、蔦屋重三郎のパワーがまだ流れているのでしょうか?
それにつけても、タイムマシンで江戸時代を自分の目で体感してみたいなあ。

*****「 江戸時代の名プロデューサー蔦屋重三郎を追い掛ける!! 」 ・ 完 *****


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Posted by ニヘドン at 00:57│Comments(0)歴史散歩
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