2020年06月15日

鹿島神宮の「 塚原卜伝の像 」。

塚原卜伝の像2015年09月01日(火)
JR鹿島神宮駅から、
鹿島神宮を参拝しよ
うと道を歩いて行き
ました。 途中で
鹿詰公園と言う小さ
な公園の中を通過し
て行きました。 そ
こに、写真の「 塚
原卜伝の像 」が建
っていました。
塚原卜伝は延徳元年
( 1489 年 )
の生まれです。 丁
度応仁の乱が終わっ
た辺りの時代で
す。 想像するに、
日本全国が殺伐とし
た雰囲気の時代だっ
たのでしょうね。
「 鹿島新当流 」
と言う剣術の始祖で
す。 新当流は現在
でも存続していて、
鹿島神宮の近くに道
場も有りますが、一
般の見学はお断りし
ているそうです。 
塚原卜伝は、鹿島神宮の神職・大掾氏の一族の出身です。
子供時代に塚原家に養子に出されました。 なので、鹿島神宮と縁の有る人物だったのです。
卜伝のお墓も、鹿島神宮駅から車で5分位の所に有ります。 
二へドンはまだお参りした事が無いので、次回時間が有れば行ってみたいと思います。
塚原卜伝を語る時には「 剣聖 」と言う言葉が枕詞の様に使われます。 
どれ位強かったかと言うと、
真剣の試合19回、 戦場に37回出て、1度も負けていないそうです。
ちょっと、強過ぎるでしょう・・・・・。 
宮本武蔵の剣を鍋の蓋で防いだと言うエピソードが有名ですが、残念ながら作り話です。
2人の生きた時代が違います。 
卜伝が初めて真剣勝負をしたのは、17歳の元服の後、
鹿島立ちをして京都の清水だったとか。 
卜伝は戦国時代の将軍・足利義輝の指南役も務めましたから、出世したんですねえ。
剣士でもあり、兵法家でもありました。

塚原卜伝の像の近くに、「 塚原卜伝を大河ドラマに!」 と言う地元住民達の
切なる願いを訴えるポスターが貼られていました。 
塚原卜伝を大河ドラマにするのも良いのですが、
( 卜伝は日本各地を武者修行で旅しているから、旅情を絡めて面白いドラマが作れそう。)
それよりも何よりも、二へドンは鹿島臨海鉄道大洗鹿島線を何とかしてあげたいのです!!
すんごい赤字路線なのよ!!
関東地方なのに、SUICAやPASMOが使えないのよ!
潰れてしまいそうなのよ!
どうぞ、皆さん! 大洗鉄道に乗りに行ってあげて下さい!!
お願いします!!

***** 「 鹿島神宮の「 塚原卜伝の像 」。」 ・ 完 *****



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Posted by ニヘドン at 22:38│Comments(0)歴史散歩
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