2024年01月14日

「 一乗谷朝倉氏遺跡 」から山を見た。

2019年05月27日(月)一乗谷朝倉氏遺跡から見た山by二へドン2019年05月27日(月)
03:15 起床。
03:30~04:20 大浴場にて入浴。 
     ホテル瑠璃光は大浴場が 24時間利用出来るから助かるわ~。
09:58 瑠璃光を出発する。
10:08 「 九谷焼 満月 」でお買い物。
10:52 「 九谷焼 満月 」を出発する。
11:02 加賀I.C.から北陸自動車道に上がる。
11:23 福井 I.C. から北陸自動車道を下りる。 ETC ¥ 2,430.-
11:35 一乗谷朝倉氏遺跡( いちじょうだに あさくらし いせき )に到着。

この遺跡も、二へドンは何度も訪れているので、この日に撮影した写真は、これ1枚のみで
す。 何度も訪れている癖に、ブログに記事をアップするのは、これが初めてと言う、何と
も生臭な話で申し訳有りません。二へドンのブログでは初めて記事にするので、沿革を
お話しておきたいと思います。
 朝倉氏は、現在の兵庫県養父( やぶ )市出身の豪族でした。
南北朝時代に朝倉広景が主人の斯波高経( しば たかつね )に従って越前に入国しま
す。1467年の応仁の乱での活躍を機に、一乗谷に本拠地を移しました。
斯波氏、甲斐氏を追放して越前国を平定した訳です。 その後、高景( たかかげ )、
氏景( うじかげ )、貞景( さだかげ )、教景( のりかげ )、と当主が続きます。
往時は、約 1万人が暮らす、京都に次ぐ大都市と言われたそうです。
しかし、天下統一の闘いの中で、 1573年に織田信長に敗れ、朝倉氏は滅び、
城下町も焼き尽くされました。

ところが、焼け落ちた城下町の礎石等が、良い状態で埋まっていたので、
1967年から、発掘が進められて来たのです。 2007年には遺跡出土品のうち、2,343点が
重要文化財に指定されました。つまり、一乗谷朝倉氏遺跡を短く説明すると、
「 戦国時代に朝倉氏 5代が 103年間に亘って越前の国を支配した城下町跡 」と言う訳
です。 武家屋敷、寺院、町屋、職人屋敷や道路に至るまで、街並みはほぼ完全な姿で発掘
されています。

二へドンが撮った写真で、下にウッドデッキの道のさまに見えるのは、遺跡内の一部に復元
された町並みの塀の庇です。一乗谷城跡地に登ると言うのが二へドンの夢です。
標高 473 m の一乗城山へ登るには、片道 1時間掛かる様です。 
団体ツアーで行くと、どうしてもネックとなるのが、見学時間の短さです。
遺跡だけで 3時間も見学時間を取ってくれるツアーは、よっぽど特殊なツアーでなければ
不可能ですよね。 いつか、登りたいなあ、と言う憧れの気持ちから、この写真を撮ったと
思われます。 二へドンは今までの人生で、一応 47都道府県には足跡を印したのですが、
「 深く 」見る所までは行っていないので、ああ、もっともっと時間が必要です。
2022年には、ここに「 一乗谷朝倉氏遺跡博物館 」( 愛称は「 あさみゅー 」)が
開館しました。これは見に行かなくちゃ駄目だyね。 行かなきゃ! 行かなきゃ!
健康に気をつけて、頑張ろう。

*****「 「 一乗谷朝倉氏遺跡 」から山を見た。 」 ・ 完 *****



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Posted by ニヘドン at 11:21│Comments(0)歴史散歩旅行
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