2017年08月13日
甲斐善光寺
2015年07月27日(月)
つばさトラベルの山梨
日帰りツアーに参加し、
昼食後、この甲斐善光寺を
参拝しました。
写真は甲斐善光寺の
山門です。
写真はとても存在感の
有る様に撮れたので
驚きました。
見た目はもっとボロい
感じだったのです。
やはりお寺の仏様のパワーが写真では神々しく見せたのでしょうか。
いや、お寺は仏様だから神々しいと言う言葉は違うのかな?
仏仏しい? (笑)
山門を潜って直ぐ右手に
「 お咳婆さんの石 」が有ります。
説明板に書かれている事を
転記すると、
「 この大きな石は、
『 お咳婆さんの石 』と
呼ばれています。
いつの時代からか百日咳など
咳に苦しむ者が、全快したら飴を
奉納する約束をして祈願すれば
効験が著しいと
言われておりました。
同様に信仰されてきた石は、
甲府市千塚など各所にも有ると言われております。」
売店かぶとやは閉まっている。
『 信玄アイス 」食べられないよ。(T_T)
山門の木の柱は朱色が剥げ、深いひび割れが幾重にも傷を付けている。
本堂までの短い参道の両脇には威厳の有る松並木。
「お戒壇廻り」と「 鳴き龍 」500円は個人払いだってさ。
ちょっと節約心を出して中には入りませんでした。
本堂に向かって左側には、
大仏さんも、いらっしゃいます!
銅造毘廬舎那仏坐像です。
元々は、本堂右側にありましたが、
収蔵庫建設に伴い昭和45年に
現在の場所に移坐されたそうです。
江戸後期作の山梨県内における
古い銅像では最大であり、
江戸後期が製作年代だとか。
本堂左手の廻り廊下の隅に腰掛け
涼しい風に当たって休みます。
だって、日なたは
炎熱地獄なんですもの。
日陰の風が、仏の救い。
岩に染み入る様な、弱~い蝉の声が周囲を包んでいます。
如何にも病んでいるという咳をする老人が後ろからやって来ました。
おいおい! お咳婆さんに祈りなはれ!!(笑)
廻り廊下も朽ち果て、板と板の間に隙間が出来、下の地面が見えちゃっていますよ。
お寺全体に大規模な修復が必要だなあ。
池の右端には「 芭蕉翁月景塚 」が有ります。
池の水の中には黒い鯉ばかり。
1匹だけ、白地にうっすら赤の模様のものがいました。
池の水際に立つと、手も叩かないのに、鯉が全員集合!!
バクバク口を開けて、その様は何ともグロテスク。
石灯楼の脇に小さい郵便ポストが有ります。
集配は1日に1回のみ。
実はニヘドン、この甲斐善光寺をお参りするのは、これで2回目なんです。
1回目は、2015年( 平成27年 )04月05日~05月31日に行なわれた
「 六善光寺同時御開帳 」の時に、六善光寺全部を2泊3日のツアーで
参拝した事があるのです。
信州善光寺、 甲斐善光寺、 祖父江善光寺東海別院、 関善光寺、
元善光寺、 岐阜善光寺の6寺です。
現在のニヘドンは仕事をしているので、行きたい場所が有っても、
なかなか時間が自由に行きません。
時間を優先すると収入が無くなってしまいますからね。
そんな生活の中で、同じ年に2回もお参り出来た甲斐善光寺は、
ニヘドンととてもご縁が有ったとしか言い様がありません。
3度目のお参りは、今度はいつになるのか楽しみです。
***** 「 甲斐善光寺 」 ・ 完 *****
「 一乗谷朝倉氏遺跡 」から山を見た。
江戸時代の名プロデューサー蔦屋重三郎を追い掛ける!!
奈良井宿の高札場( こうさつば )。
流れ落ちる汗が目に入って幻が見える「 竹田城跡 」。
鹿島神宮の「 塚原卜伝の像 」。
「 雪國 」の碑。
江戸時代の名プロデューサー蔦屋重三郎を追い掛ける!!
奈良井宿の高札場( こうさつば )。
流れ落ちる汗が目に入って幻が見える「 竹田城跡 」。
鹿島神宮の「 塚原卜伝の像 」。
「 雪國 」の碑。
Posted by ニヘドン at 03:58│Comments(0)
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